西宮・芦屋・尼崎 文学博士によるライティング(作文)を軸とした伝える力のトレーニング
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「書きたい」「書こう」と思わせるために

我が家の息子(小4)は「書くこと」が嫌いです。作文ノートの文章はまぁ酷く(笑)、理科社会のテキストに記述問題を見つければ積極的に飛ばします。。
国語の感情を問われた記述問題に至っては、たまに書いてあるかと思えば…「優しい」「嬉しい」「楽しい」「悲しい」「残念」。この5つ以外、見たことありません(ー ー;)。


最大の理由は「面倒くさい」


「なんで書かないワケ?」と聞くと、決まって「面倒くさいから」と答えます。

積極的に取り組むのは算数ぐらいで、この返答に「身内」としては絶望感しか感じません。笑

でも、あるとき少し考えてみたのです。
どうして私(親)が「好き」なことを、息子は「好きではない」のか?
なぜ、息子は書くことを「面倒」だと思ってしまうのか? 

思い返してみれば、私は幼い頃から「書くこと」を苦に思ったことはありません。

小学生時代に読書感想文で毎年のように市や県で賞をいただいたこと。
小学3年生の時には、建設省(当時)で表彰していただいたこと。
勉強もせず遊び呆けていた中学生時代にも、読書感想文だけは国語担当の先生が褒めてくれたこと。
それがある種の「自信」となって、大学受験は「小論文で勝負しよう!」と思えたこと。
大学院に入ってからは「論文」という形で文章を書くことが常態化し、理論的記述に四苦八苦し、査読で通ることも落ちることもありながらも「書く」作業自体は楽しんで続けられたこと。

継続的に「書く」ことに触れていたのもそうですが、その都度「評価」してもらえる環境にあったことが結果的に意味を持っていたのだな、と自分自身で思います。


「評価」してあげることで「面倒くささ」が解消


一方で息子の「面倒臭さ」を考えてみると、作文ノートを書くことは宿題=「書かないといけないという義務感」、記述問題は正誤を判断される=「書いてもバツされるぐらいなら書かない方が楽という消極的感情」が原因なのではないか、と。

親子でこうも違う「書くこと」に対する想いを考えれば、「書くこと」に対して必要なのは、

* 「書きたい」と思える子ども自身の心
* 「書いても」否定されるではなく、「書いたら」評価される、というポジティブな状況
* 評価基準は正誤(マルかバツか)ではなく、「何を書いても正解」とする大人の寛容さ

この3点に尽きるのではないかな、と思うのです。
もちろん、点数化が必要な科目では正誤がつけられてしまいますが、そもそも「書きたい」「書こう」と思える状態にないことにはスタート台に立つこともできません。

ただ、「親子」となるとどうしても感情が入ってしまうので(笑)私が息子の作文等を指導することは意外と少ない(ほとんどない?)のですが(^^;)。


syowritingのレッスン


syowritingでは「伝える力」を養うトレーニングをしていますが、毎回レッスンの最後に、その日の成果として「伝えたいことを文章化する」作業を行います。もちろん、そこに到るまでの時間で、お子様の「伝えたいこと」を一緒に整理していくのですが、最初は「文章化」の作業に「書きたくない」と感じることもあるかと思います。でも、それはうちの息子と同じで「面倒くさい」と思っているだけかも!?

「伝えたいこと」を全肯定で受け止める、正誤での評価はしない、書くことにためらいを感じさせない。syowritingは、この3つのポイント遵守で「文章化する力」もトレーニングしていきます!

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